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橋場寺不動院寺歴
橋場不動尊の名で親しまれる当院は、天平宝字四年(七六〇)寂昇上人によって開創されました。 奈良時代末期のことですから、文字通り橋場第一の古刹といえるでしょう。 本堂は弘化二年(一八四五)の建立で、その古色をおびた佇まいはうるおいに満ちています。 本尊の不動明王像は、『江戸名所図会』に「縁起に日く、本尊不動明王は、良弁僧都相州大山寺にありし頃、彫刻ありし三体の一にして、かの寺の本尊と同木同作なり云々」とあり、良弁僧都の御作であることかわかりますが、このご本尊は秘仏となっており拝観できません。 しかし、お前立ちのご本尊としての不動明王があり、これは鎌倉期のものと推察されています。 昔は近隣の住民や奥州街道を往き来した人たちが、境内にある樹齢七〇〇年の大銀杏を日印にして、本尊の不動明王や薬師如来の参詣に訪れていたのでしょう。
橋場不動尊の大護摩
当院は江戸時代には橋場寺として、周辺の三条公、有馬侯、池田備前侯等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集めていました。 また、明治末年の大火、関東大震災、戦火などに不動院を中心とした橋場の一角だけは、災禍を免れたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として信仰の的となっています。 現在では毎月二十八日、家内安全、開運厄除等々諸願成就の大護摩を厳修しております。 また正月、五月、九月の二十八日には特別大護摩を修し、皆様の心願成就をご祈念申し上げております。
浅草名所七福神もうで/関東三十六不動
浅草は江戸時代文化発祥の地と申しても過言ではありません。 七福神巡りの流行したのはその江戸時代からと伝えられています。 仏教で信仰された毘沙門天・大黒天・弁財天、支那の儒教で尊ばれた福禄寿・寿老人・布袋尊、日本の神として尊ぱれた恵比須神、が福徳円満の神として、年の初めに一年の家内安全、息災延命を希って巡拝されました。【当院には布袋尊奉安】 浅草名所七福神が九社寺ありますのは、「九は数の究み、一は変じて七、七変じて九と為す。 九は鳩であり、集まる意味をもち、又、天地の至数、易では陽を表わす」という古事に由来したことによります。 橋場不動尊は関束三十六不動霊場第二十三番札所としても指定されています。 この三十六不動霊場の参拝では、お不動さまと自分とが常に一緒に旅をしていることであり、お不動さまと「同行二人」の道中であります。常に気持ちを平安にして、お不動さまが、自分を包んでくれている喜びの自覚を持って、ご参拝下さい。
富貴弁財天
当院には不思議な霊験を示される弁財天様がお祀りされております。 胎内の奥書によりますと、ちょうど三百年前の元禄二年(己巳)九月に保田氏により奉納されたことか判明いたしました。 以来、年に一度、己巳の日に御開扉法要を厳修いたしております。
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